9月14日(月)25時23分
今日は素晴らしい一日だった。
プロテニスプレイヤーの福井烈さんと、
30年ぶりに再会したのである。
「30年ぶりだなんて、
福井さんはclub willbeの、
サポーティングメンバーにもなっているのに、
おかしいじゃないか」と、言われそうだが、
30年前に雑誌「JJ」のインタビューで会って以来、
一度も直には会っていなかったのである。
当時福井さんは22歳。
筑波大学を経てアメリカに留学し、
帰国後、中央大学に入学して2年目だった。
私が会った年の10月、全日本庭球選手権大会で優勝し、
この大会で3連勝を飾り、
プロアマ含めてテニス界のナンバーワンとなっていた。
私はと言えば、
5年3ヶ月間の雑誌記者生活にピリオドを打ち、
来るべき30代を前に、
新しい道を模索している時だった。
5年3ヶ月間を過ごしたのは「女性自身」編集部だった。
身分は「フリー」だったが、
持っていた名刺には「女性自身・特派記者」と記され、
ほとんど「専属」に近かった。
仕事は面白かったし、収入も同世代の女の子の数倍はあったが、
とにかく毎日忙しく、
最低でも週2日は締め切り作業のため徹夜だった。
どこかでこの生活に区切りをつけなければと思い、
28歳の秋、意を決して「女性自身」を辞め、
約1年、フリーライターとして、
単発で原稿を書いたり、
音楽雑誌の編集を手伝ったりしていたのである。
そんな時、雑誌「JJ」から仕事が舞い込んだのだった。
「JJ」は、元々は「別冊女性自身」という形で、
不定期に発刊されていたのが、
女子大生の間でJJファッションが人気が呼ぶようになり、
売れ行きが好調だったことから、
この年「月刊化」が決まったのだった。
(「JJ」と言う誌名が「女性自身」の頭文字をとって、
つけたと知る人は少ないと思うが、発行元の光文社内では、
「JJ」は「女性自身」の妹分という位置づけだったのである)
月刊化に伴って紙面も刷新され、
新しく「クローズアップインタビュー」という頁が出来るので、
そのインタビュアー兼ライターをやらないかとの誘いを受けたのだった。
当時レギュラーの仕事は、
学習研究社の「高三コース」という月刊誌で、
難病や障害など「苦難を克服して生きる青年たち」をテーマにした、
「青春感動ルポ」という取材記事を書いていただけだったので、
「JJ」がジャンルの違う仕事というのと、
経済的にはレギュラーの仕事がもう1本ぐらいは欲しかったので、
引き受けたのだった。
「クローズアップインタビュー」に登場してくれたのは、
俳優や歌手など芸能人が多かったのだが、
福井さんは圧倒的に強いプレイヤーだったのはもちろんだが、
知的で姿形がカッコよかったことから女性ファンが多く、
編集長直々の命でキャスティングされたのだった。
福井さんに会ったのは大阪のコートだった。
練習の合間に、コートの近くの公園のベンチで、
インタビューをしたことだけは覚えているのだが、
何をどう話し、それをどう文章化したのかは思い出せない。
ただ、全日本で三冠王を果たしたというのに、
驕りのかけらもなく、
スポーツ音痴の私の質問にも、
終始真摯に答えてくれたということは記憶している。
その後、福井さんからは年賀状をはじめとして、
海外遠征先などから手紙や葉書が届くようになり、
私もそれに応えているうちに、
会ってはいないのに、
何となく親しい間柄のような感覚が持続していたのである。
今回私が「club willbe」を立ち上げる際にも、
「今度、こんなことをするのよね」みたいな感じで、
手紙を出したところ、
率先してサポーティングメンバーになってくれたのだった。
いずれwillbeでも「福井烈テニススクール」みたいなものを、
やってもらえたら素敵だろうなとは思っていたのだが、
今や福井さんは「日本テニス協会の常務理事」や、
「オリンピック招致委員会の理事」など要職に就いているから、
忙しいのだろうなと半ば諦めていたところ、
「どよう楽市」のチーフプロデューサーのコイケさんが、
福井さんととても親しい間柄打ということが判り、
「一度一緒にご飯でも食べよう」ということになって、
「30年ぶりの再会」が実現したのだった。
(二人は筑波大時代の先輩・後輩だったのと、
コイケさんは元アナウンサーで、野球、バレーボールなど、
「スポーツ中継の名手」と言われており、
中でもウィンブルドンをはじめとするテニス中継は、
秀逸だったと評判で、福井さんは解説者として、
一緒に仕事をした仲なのだという)
待ち合わせ時間にレストランに入っていくと、
一番奥のテーブルから、先週も会ったような感じで、
「やぁ」と大きく手を振る人がいて、
それが「30年ぶりの福井さん」だった。
挨拶が終わるや、
福井さんは、「これ、お、持ちですか?」と鞄から紙片を差し出した。
少し黄色く変色はしているが、
丁寧に綴じられた30年前のJJの記事だった。
驚いて手にとった私に、
「僕、この取材はよく覚えているんですよ。
テニス雑誌以外の雑誌で7頁も特集してくれたんですからね。
その後、残間さんとは会えなかったけど、
やがて百恵ちゃんの本で、世の中に出て来るようになって、
テレビで観たり、記事で読んだりするたびに、
当時を思い出していたし、『僕も頑張らなきゃ』って、
励まされていたんですよ。
だから、手紙をやり取りしたり、
何かの時に声をかけてくれた時は嬉しかったですよ」と、
「身に余る言葉」をかけてくれたのである。
「club willbeに誘って貰って以来、
僕に何が出来るだろうってずっと考えていてたんですけど、
やはり僕にはテニスしかないので、
メンバーのみなさんと一緒にテニスをやりたいと思うんですよ。
泊まりがけで行ってもいいし、日帰りでもいいし。
最近リタイア後の大人たちのテニス熱が上がっても来ているので、
是非やりましょうよ。
やさしい初心者コースもいいけど、
せっかくだから厳しいコースも作って.........辛くなったら、
そこで辞めればいいんですから、やりませんか?」
これまた、嬉しい話だ。
何とか実現させたいものである。
「ところで、残間さん、スポーツ、何かやってますか?
エッ、何もやってない?駄目ですよ、身体動かさなきゃ。
テニス、やりましょうよ。気持ち良いですよ。
僕、一日5時間ぐらいはやりますよ。
絶対に楽しいですから、一緒にやりましょう!」
会えば、必ず言われるだろうとは思ったが、
やはり言われてしまった。
このあと会社に残って仕事をしていたスタッフと打ち合わせをして、
家に帰り、ふとメールを見たら、
福井さんから「有り難うございました」という件名のメールが届いていた。
「今日は30年ぶりの再会、楽しかったです。
まだ何も考えずに、
前だけを向いていた頃の自分と再会したようで、
時の流れと、さまざまな出会いで、
今の自分がどうあるべきで、
それが間違っていないかの確認のためにも、
お会い出来て良かったです。
我々の年齢になって、どうあるべきかを見失うことが、
一番もったいないことだと痛感します。
またお会い出来る日を楽しみにしています。
2009.9.14 福井烈」
私も、
未来も将来も、何も見えてはいなかった30年前の私と再会出来て、
本当によかった。
煩雑な日常にかこつけて、
見失ったいた(どこかで「見失っても構わない」と思っていた)
今の私は「どうあるべきか」についても、
考えさせられた。
ここでもう一度、
人生を軌道修正するためには、
青臭いかもしれないが、
「こうなったんだから(こうなっているのだから)仕方がない」ではなく、
「こうすべきだ」と自分なりの理想を振りかざして、
「べき論」で生きてみることが必要なのではないかと、
思い直した夜だった。

















































> 我々の年齢になって、どうあるべきかを見失うことが、
> 一番もったいないことだと痛感します。
> ここでもう一度、自分の人生を軌道修正するためには、青臭いかもしれないが、
> 「こうなったんだから(こうなっているのだから)仕方がない」ではなく、
> 「こうすべきだ」と自分なりの理想を振りかざして、
> 「べき論」で生きてみることが必要なのではないかと思い直した。
◆同感!・・・です。 ようやく、政治の"あるべき姿"も変わり始めます!
理想的な民主化の実現!・・・にも期待します。
◆昨日、NHKで「希望学」を紹介していました。その中で、「ウィークタイズ(ゆるやかなつながり)」がキーワード・・・と、、、まさに、この記事が、そのまま当てはまる!・・・と感じました。
追伸:南の圃場では、のり面緑化のウィーピングラブグラス(稲藁の代用)の草刈りも終わり、晩秋の装いがスタートしました。あと半月もすると、美味しいサツマイモも!
(text end)