8月10日(月)9時58分
深夜、ブログを書くのをやめて、
その日のブログはその日の朝に書くことにしたら、
(昼間になることもあるかもしれないが)
気持ちがラクになった。
「あゝ、もう午前0時を過ぎてしまったわ」と、
いつも時計を気にしている「シンデレラ状態」で、
書いていたのも厳しかったが、
それよりもほとんどが会食から帰ってから書いていたので、
アルコールが入っていることが多く、
夜のうちには概要だけを書いて、
早朝4時ころに再度チエックをしてから、
立ち上げていたのである。
友人の作家に聞くと、
ほど良くアルコールが入っているほうが、
いい文章が書けると言う人もいるが、
私は「アルコールが入っている」と思っただけで、
書いたものに自信が持てなくなるので、
このブログ以外の原稿は朝早く執筆していたのである。
日付欄に「24時*分」とか「26時*分」と書いてあったのは、
概要部分を書き上げた時間で、
完成原稿は朝になることが多かったのである。
つまり厳密に言えば、朝書き上げていたわけで、
何となく半分嘘をついてるようで、
気が滅入ることも多かったのである。
スタッフは「ブログは気楽に書くものですから、
そんなに神経質になることではないですよ」と言うが、
拙文ではあるが文章は文章なので、
そうそう気は抜けないのである。
そんなわけで、
シニア・シンデレラの生活から脱却したため、
夜の会食も随分楽しくなった。
昨晩は、
先日亡くなった頼近美津子さんが遺した二人の息子さんと、
鹿内春雄さんの前妻・晃子さんが遺した息子さんの、
「3人を励ます会」が新宿歌舞伎町の台湾料理屋で開かれた。
(大野真澄さんのライブに続いて、歌舞伎町ずいているよね)
参加者は3人の主役と、
美津子さんの息子さんの婚約者とガールフレンド、
美津子さんの弟さん夫妻、春雄さんのお姉さん、
美津子さんの親友夫妻、
春雄さんと小学校時代から親友だった戸張捷さん夫妻など、
ごく近しい人ばかりだった。
3人にとっては一番厳しく、
それでいて親身になって面倒をみてくれている、
美津子さんの親友の男性と戸張さんの提案で、
この場所が選ばれたのである。
この日の主目的は美津子さんの墓参で、
「3人を励ます会」は、その延長線上のことだった。
私はあいにく、仕事があって墓参には参加出来なかったので、
「励ます会」から参加したのであるが、
幹事役の美津子さんの親友男性の言葉を聞いて、
この場に呼んでもらえた幸せを感じた。
「君たち三人は、両親もなく、お金もあるとは言えない。
僕たち大人がお金を出して、
もっと立派なところでやることも出来なくはないけれど、
今の君らの等身大の形で、君らを本当に心配している人たちに囲まれて、
再出発をして欲しいと思って、
小平のお墓の帰りに立ち寄れるところで、
安くて美味しい店を探して、ここにしました」
3人は、鹿内家のもろもろの出来事の末に、
世間が考えているような経済状況にはなく、
この時代を懸命に生きている若き労働者たちである。
特に、美津子さんの息子さんたちは、
生前、春雄さんが「海外を視野に入れた教育を」というので、
幼児からの教育を英語で通したのだが、
途中で春雄さんが亡くなって、
そうした教育もままならぬ状態になったため、
日本で就職するしかないのだが、
日本語より英語の方が「得意」ということが、
必ずしも「優位」とはならないらしいのである。
友人のつてなどで英語が使えるIT企業に就職しているが、
「お父さんが生きていたら.........」と、
思う人が少なくないであろう、簡素な生活を送っているのである。
私に何が出来るかは解らないが、
出来るだけのことはしたいと思う。
特に、生後1週間で母を亡くした、
もう一人の息子さんのことは、
今はもう母晃子さんを知る人が少ないだけに、
相談相手ぐらいにはなってあげたいと思っている。
歌舞伎町の極彩色のネオンの下、
心は淡い温かな色に染まっていた。

































はじめまして。私は、鹿内美津子さんの大学時代の同級生で対馬智英子と申します。今、桜の開花→入学式→外語大の入学式→頼近さんと合格発表の名前が隣合わせだったこと、、、という具合に、つらつらと美津子さんの一周忌のことを考えておりまして、そう言えばお墓はどこかしらとインターネットで検索してみましたところ、こちらのページにヒットした次第です。できましたら、美津子さんのお墓の場所を教えていただけると幸いです。小平のどこでしょうか?
昨年7月のカザルスホールでのお別れの会には、私も参列しました。お別れの言葉が、軽部さんに読み上げられた一人です。(2010年3月3日)