6月27日(土)25時38分
今日の「どよう楽市」のゲスト、
金谷財男(たつお)さんに「励まされた」というメールが、
放送終了後、番組宛てに沢山届いた。
金谷さんは、私と同じ1950年生まれ。
高校の英語教師をしていたのだが、
50歳を過ぎたあたりから鬱病になり、
休職、入院、復職を繰り返すが、
なかなか良くならず、
一昨年早期退職したという人だ。
金谷さんによれば、
「鬱病はそうそう簡単には完治しないんですよ。
3階まで上ったかと思うと、1階落ちて2階になったり、
ようやく4階まで辿り着くと、
ストンと下まで落ちるということの繰り返しなんです。
今は、それでも6階ぐらいでしょうか。
でも、だんだんこういう状況が常態化して来て、
慣れるんですよね。今は一生つき合っていこうと思っているので、
精神的には落ち着いていますが、
新しい組織環境で働くのは難しいでしょうね」
と、いうことで、
若い頃から集めていた西洋骨董を、
仕事にしようと思い立ち、
札幌市にアンティークのお店を開業したのだという。
折りからの不況で、
お店の経営が思わしくないところに、
昨年秋、今度は癌になり、
闘病生活を余儀なくさせられるのだが、
次から次へと大変なことが起きるので、
「癌闘病」にも特別な悲壮感はなかったらしく、
山あり谷ありの日々を、
金谷さんは実に淡々と話すのである。
しかし、癌になって、
改めて、人生をふり返ってみると、
「本当にやりたかったことをやっていない自分」
に気づいたのだという。
金谷さんの「本当にやりたかったこと」
(あるいは「本当はやりたかったこと」)は、
歌手になることだった。
実際、若い頃から歌ってもおり、
デビューの話もあったのだが、
この時も十二指腸潰瘍になって断念せざるを得なくなり、
デュオを組んでいた相棒だけが、
東芝EMIからデビューを果たしたのだという。
「鬱病や癌を克服出来たのも、音楽があったから。
特にサイモン&ガーファンクルの歌は人生の支えです」
と、言う金谷さんに、
「スカボロフェア」をスタジオで歌って貰ったところ、
「涙が流れました」という感想が多数寄せられたのだった。
英語の先生だったというだけあって、
英語の発音も素晴らしく、
聴いていて安心感があった。
しかし、それより何より、
金谷さんの歌がとてもやさしい音色なので、
自然に心に沁みてくるのだった。
「いろんな人に背中を押して貰って、ようやくここまで来ました」
と、金谷さんは言うが、
押しつけがましさの微塵もない金谷さんの淡々とした風情を見ていると、
誰もが「背中を押したくなる」ような気がした。
「渋谷でライブハウスをやっている人と知り合いましてね。
彼も癌なんですが、いろんなことを話しているうちに、
『たっちゃん、もう歌うしかないよ!歌ってくれよ』と、
またしても背中を押してもらって、
今夜、彼のライブハウスで飛び入り出演をすることになっているんです」
残念ながら、
今夜は先約があったので行けなかったのだが、
金谷さんのやわらかな歌声をいつかまた聴きたいと思った。
「どよう楽市」をやってからというもの、
「市井の人」の中に素晴らしい才能が埋もれていることを、
実感させられることが多く、
プロデューサーの端くれとしては、
そういう「遅咲きの才能」を開花させるのも、
私の仕事なのではないかと思い始めている。
(「市井の人」という言い方は生意気なのだが、
私の仕事は「著名」という点で「突出した人」を、
相手にすることがほとんどなので、
敢えてこういう言い方にさせて貰った........)
夕方からは、
一昨年53歳の若さで食道癌で亡くなった友人の、
三回忌に際しての「偲ぶ会」があり、
ナカヤマと一緒に列席した。
お医者さまとして彼を見守ってくれていた
向井万起男先生も駆けつけて下さって、
彼の友人たちを感激させていた。
「70歳前の死は、無念の死です!」
向井先生がキッパリこうおっしゃったのを聞いて、
たしかにそうだが、
そこまでいけるかどうか自信のない凡夫としては、
せめて、やりたいことを先延ばしせず、
一日でも、一刻でも早く、
やり始めることぐらいしか出来ないと思った。
還暦を前に「歌手になりたい宣言」をした、
金谷さんの勇気を見習って、
私もやりたいと思っていることを、
やり始めようと決めた。
私のやりたいこと.........今、宣言するには恥ずかしすぎる。
(首尾よくスタート出来たら、その時は報告しますね)

































> せめて、やりたいことを先延ばしせず、一日でも、一刻でも早く、
> やり始めることぐらいしか出来ないと思った。
【第二の人生を始める前に必要な資料について】
~定年後に向けた社内教育(40歳代で受講)~
全員が『窓際候補への人材教育!』として悲壮感を持って受講しましたが、この教育のお陰で、定年扱いの早期退職と第二の人生が、問題なくスタートできました。
講座内容
1.まず、会社生活で培って来たスキルの棚卸し表の作成。
2.余暇(毎日が休日)で楽しむ趣味の棚卸し表の作成。
3.55歳or60歳定年と、嘱託として残る場合それぞれに、75歳までの退職金を含めた「家計の損益計算書」と「家財の貸借対照表」を作成。
【結果】
趣味の棚卸し表は生かされず、社内で培ったスキルを元にした「新たな挑戦!」が始まり、想像していた様な「第二の人生」ではなくなってしまいました。
(text end)
【コメントの続き】
「第二の人生」では、『会社で培ったスキルを、そのまま応用しない!』・・・こと!
~180度、異なる生き方や生活環境(人生最後の設計思想)に活かすべき!~
【誤】豊かな消費を堅持するため、更に多くの工数を掛け、富の量を大きくする。
【正】清貧の生活を維持するため、更に少ない工数の中で、富の幅を大きくする。
この目的のために、生産現場で培った、①現地・現物で改善をする現場主義。②品質管理(QC)③生産管理(PM)の思想や手法を活かすべき!・・・と
【結果】
毎日、畑に立って益虫・益鳥・共栄植物・醗酵微生物群の環境整備を考えるだけで、MAX:年間35,000円/坪(投入工数:年間12時間/坪)の区画を構築しました。
※世界で最も高度な生産ラインになる様にと改善してきたスキル(知識・技能)が、逆転の発想の中に於いても、より働かない「第二の人生」ため、そのまま応用できて、新たな思想を構築できたのが、とても面白い!
(text end)
残間様
こんにちは。金谷財男でございます。
先日は、「どよう楽市」で楽しい時間を過ごさせていただきました。
また、ブログでこのように私のことを取り上げて下さいまして、本当に有り難うございます。
本日、店に出向く前に、2週に1度通院している神経科を受診してきました。
今回のラジオ出演や最近の精神状況について話したのですが、先生の弁に依ると、私がマイクを通して「鬱病患者」に「生きていることの楽しさ」を与えてくれたのではないかとのことでした。
あれから、「楽市」にもメールが届いたのこと。
私のような者でも、微力ながら、人様の助けになったということは、非常に嬉しい限りです。
これ以降も、店の経営と同時に、「歌うこと」も励みにして生きてゆきたいと思っております。
また、機会がありましたらお話したく存じます。
くれぐれもご自愛下さい。
それでは失礼いたします。
当店のURLにもお立ち寄り下さい。
http://zaitendou.com/