6月13日(土)24時44分
自分が「昔、どうだったのか」ということは、
案外覚えてはいないものらしい。
一昨日のブログの書き込み欄に、
「あなたは高校時代『有名になりたい』と言っていましたよね」
というのがあったのを見て、
「へぇ、私がそんなことを?まさか、でしょう」と心底驚き、
以来、自分で自分が信じられない。
私の言語体系の中に「有名になりたい」などという、
臆面もないフレーズは存在していないはずだし、
ましてやそんなことを他人に言う神経は、
持ち合わせてはいないはずだと思っていたが、
現に「聞いた」と言う人がいる以上、
「そういう私」がどこかに存在していたのかも知れないと、
何とも憂鬱になってくるのである。
そこで、私の過去を検証してみようと思い、
何人かの昔馴染みに聞いて見た。
小学生時代は、病弱イメージが強かったらしく、
総じて「大人しい子」「静かに家で本を読んでいる子」
「地味な子」と思われていたらしい。
(当時はかなり貧しかったから、「病弱」に「貧困」が加わって、
「地味」に見えていたのだと思う)
中学生時代も相変わらず病気がちな子ではあったのだが、
それでも仙台から富士市に転居をしたことで、
それまでの私が一新されたのか、
「ハキハキした子」「明るい子」と、
快活なイメージに変わっていた。
高校時代は、女子高だったこともあって、
格好をつけることも無く、
自由闊達な日々を過ごしていたらしい。
「『これからは同性に好かれないといけないのよ』と言って、
友達を沢山作っていたわよね」
「先生の目にはヤンチャで、悪戯好きで、
お調子者というイメージだったんじゃないかしら。
奥さんを亡くして打ち沈んでいた先生を、
『明るくしてあげよう!』と言って、
先生の黒い自転車に白ペンキを塗ったりしていたものね」
「石坂洋次郎の世界に憧れて、
一人で勝手に『青い山脈』みたいに生きてたよね」
.........そんな頃、
「私、有名になりたいの」なんてことをほざいていたのだろうか。
今回の「検証」は、少人数にしか頼めなかったので、
同窓会などの折りに、
もう少し広く聞き込みをしてみようと思う。
さて、折りも折り、
またしても「昔の私」に関することで、
仰天することが起きたのである。
今日の「どよう楽市」を聴いてくれた人はお解りだと思うが、
番組の後半で、
大沼アナがニヤニヤしながら一通の手紙を取り出し、
「残間さんにこんなお手紙が届いています」と言って、
手紙を読み始めたのである。
「(前略)~残間さんの青春時代はどんなだったかお知らせしましょう。
先ずフォーク好きで、当時流行っていた吉田拓郎が大好きで、
それが尋常ではなく、
放送局だったのでレコード視聴室があったのですが、
そこに拓郎の「結婚しようよ」のドーナツ盤を持ち込んで、
3時間ほど「結婚しようよ」を聴いていて、
他の視聴する者をイライラさせたことがありました。
それほど拓郎が好きでした。
番組にまつわる話では、
ロイジェームスさんが司会の全国ネットの番組があり、
各局の女子アナが競演していたのですが、
御当地は残間アナが担当していて、
最後に担当者を言う時、
『静岡からはクレオパトラこと残間里江子でした』と、名乗っていました。
(中略)
そんなわけで、フォークの申し子と言いましょうか、
歌が上手く、私も作曲が好きだったものですから、
里江ちゃんに何曲か歌ってもらいました。
お送りしたMDはその中の一つ、
『あの人は元気かしら』というもので、好評を博した曲です。
このMDは私しか持っておりません。
里江ちゃんには内緒で、この手紙を読んで、
MDをかけていただきたいと思います」
手紙はSBSの先輩アナ・青木輝さんからのものだった。
「きゃあ!どうしよう!」と思った時には、
既に「あの人は元気かしら」が流れていた。
冷や汗がドッと出てきて、全身がグッショリ、
こんな体験は初めてだった。
吉田拓郎フリークはともかく、
「クレオパトラ」だって?
冗談にも程がある、ではないか。
あゝ、またまた自分で自分が信じられなくなった。

































「どよう楽市」聞いてしまいました。
残間さんでも慌てる事があるのかとニコニコ聞いてました。
昨日は私の参加している「元気・まちネット」の代表を交えて飲む機会があり、先週参加させて頂いた「茅山荘での座禅」の話、その折の残間さんのもてなしの事等を話しました。
とても良かったので絶賛したのですが、代表からは「すっかり残間教だね」と言われ、そうかも知れないと思わされてます。
そんな人間にとってはいつまでも「クレオパトラ」です。
背が高くスラッとして顔立ちも華やかで、「ザンマさん」の名は転入してすぐに広まりました。ある日、体育館のクラブ活動へ向かう時、雷が鳴ったのですが、渡り廊下の端で、「キャー キャー」と雷に負けないくらいの大きな高い声で叫び出したのは下校しようとしていた残間さんでした。それまでそういう長い叫び声は聞いたことがなかったので、私は固まりましたが、残間さんのその表情から、田舎のチビ中学生にも、それはアピールの声なのだとわかりました。正直こういう人がいるのだということを知りました。残間さんのスカートの追っかけ襞はウネウネと波打っていて不思議だと単純に感じ、声が良い、もの凄く作文が上手だという思い出がありますが、後年の活躍を知り、このブログを含め書かれたものを読むにつれ、つまりあの頃が繋がっていると、当たり前ですが、つくづくそう思います。(他に著名人など知らない私は)そこそこに満たされていてはダメ、惰眠もダメ、早くから先を見据える受け継いだ天分が必須と、バロメーターができました。