6月12日(金)25時31分
これは今に始まったことでもないのだが、
「club willbe」を立ち上げ、
時間が経つにつれて増える一方なので、
さてどうしたものかと、
悩んでいることがあるのだ。
実は、
「これを読んで、批評して欲しい」と、
創作した文章を送って来る人が、
最近とみに増えているのである。
「蒼い時」のプロデュースをして以来、
時々そんなことがあり、
時間がある時は読みもしたのだが、
近頃は時間がないのと、
送られてくる数が多いのとで、
応え切れないことが苦しいのである。
送ってくる人の気持ちは判らないではないのだが、
何の前触れもなく、ポンと送ってきて、
「批評して下さい」と言われても、
ほとんどが何百枚の大作ばかりなので、
続けて時間がとれないと、
なかなかひも解けないのである。
何にしても、
時間とエネルギーを注いで、
一生懸命書いたものなのだろうから、
軽々しくは扱えないし、
かといって放置したままでは申し訳ないしで、
原稿を前に(メールで100頁というのも何本か来ているが)
唸っている毎日なのである。
.........私が短大に入り、
東京生活を始めて間もない頃、母が上京した。
娘の「東京暮らし」を見たいということだろうと思っていたら、
それももちろん目的の一つではあったらしいのだが、
それよりも、
母の「積年の思い」を遂げようという旅だったのである。
来る前に一通の葉書が舞い込み、
それには「東京駅に迎えに来てくれる時に、
講談社までの道のりを地図に書いて持って来て下さい」
と書かれてあった。
何のことか判らなかったが、
言われた通り地図を持って、
待ち合わせた東京駅丸の内北口までいくと、
私の板橋のアパートに行く前に、
どうしても「講談社に行きたい」というのである。
延々1時間はかかっただろうか、
バスで音羽の講談社まで行くと、
「あなたはここにいて」と、
講談社と道を隔てた小さな喫茶店に私を待たせて、
手に大きな風呂敷包みを抱えた母が、
威容を誇る石造りの建物に入って行ったのだった。
道々聞いたところでは、
母が数年間をかけて書いた小説を、
編集者に見て貰おうと思ってのことなのだという。
講談社に編集者の知り合いでもいるのかと思ったら、
「誰も知らないけれど、何とか頼んでみる」と言うのである。
つまり、今流に言えば「アポナシ訪問」なのだった。
今の私なら判断出来ることだが、
当時18歳の私には、
何がどうなっているのか、
事態が呑み込めていなかった。
それでも田舎から出て来た地味な身なりの母が、
思い詰めたような表情で、
石の階段を一歩ずつ上っていく姿は、
娘の目から見れば、
それはそれで輝いて見えたのだった。
30分ぐらい待った頃、母が階段を下りてきた。
上気した顔で私の待つ喫茶店に入って来た母は、
「読んでくれるって」と、
如何にも嬉しそうに告げたのだった。
しかし、それから数ヶ月後、
600枚の原稿は、
編集者からの丁寧な講評と一緒に、
母の元に送り返されて来たのである。
講評メモを見ると、
「文章は端正で下手ではないが、
主人公が善い人過ぎて、読者の関心を惹きつけ難い」
というようなことが書かれてあった。
主人公に自分を重ね合わせるのは必定だが、
自己肯定と自己否定の距離がとり難いという、
素人作家の陥る罠から脱していない作品だったのだと思う。
以来、それは母の部屋の押し入れの片隅に、
風呂敷に包まれたまま置かれてあり、
その存在は「蒼い時」をプロデュースする時も、
忘れることなく私の頭の中にあったのである。
本を出したくても出せない母。
才能がないと言ってしまえばそれまでだが、
それでも単身、文化の殿堂のような建物に、
果敢に乗り込んで行った母をこの目で見た以上、
私が作る書籍は、著者自身が、
書くことの「苦悩と喜び」を味わってくれるようなもので無ければ、
作る価値はないとの思いがあったのである。
だから「蒼い時」も、
世間はゴーストライターだろうと噂していたが、
「最後まで百恵ちゃん自身で書くこと」が、
私の側の条件だった。
幸い、彼女の方も「ゴーストライターで作りましょう」という、
何十社からの誘いに乗りたくなかったから、
私に頼んで来たということだったので、
約半年、作者と編集者として、
厳しくも濃密な時間が過ごせたのだった。
.........話が大きく逸れてしまったが、
「人がものを書く」という行為に対しては、
素晴らしいと思うし、
敬服している私からすれば、
そして、今でもものを書くことを諦めずに、
日々何やら綴っている母を見ていると、
私に原稿を送って来てくれる人に、
少しでも報いたいと思っている。
悩みに悩んだ末、
「club willbe」では、新しいシステムを導入しようかと考えている。
出版社で文芸とノンフィクションを担当していた、
ベテラン編集者もいることだから、
クラブのプログラムに「読んで、講評をしてもらう仕組み」を、
作ってはどうかと検討している。
原稿を送付してくる人は、
ただ読んで欲しいと思っている人は少なく、
出版の可能性を聞いてくる例が多いのだが、
出版まで漕ぎ着けることが出来るかどうかは、
作品次第だが、
出版社と回路のある人の力をも借りて、
それなりの時間を費やしてもらわなければならないので、
幾ばくかをいただくことになるかもしれない。
(「club willbe」もまだ自立が出来ていないので)
ここからベストセラーが生まれないとも限らないのだから、
夢を持って、積極的に関わるというこの案について、
是非皆さんのご意見もお聞きしたいと思う。

































クラブ・ウィルビーを立ち上げた意味、コンセプトは?十把一からげではいけないと思います。全てを受け入れる事は大変で中途半端になるのでは?
相応のご負担をいただいたうえでの仕組みがいいと思います。
そんな仕組みが確かに求められていると思うし、それができるのは残間さんだからこそ、とも。
おかあさまの果敢なチャレンジの年齢がまさにウィルビー世代なんですね。
母もそんな表現欲求を持っていましたが、おかあさまのような行動力のないまま亡くなりました。
おかあさまのそのときの表情を想像すると、何か感動してしまいます・・
残間さんの真摯な姿勢と同士愛にいつもこころうごかされます。
そのアイデアが実ることを祈っています。
マネタリーとボランタリーの融合がこれからの社会を形成するように思います。
club wilbeは、そのような方向へ進んでいくのかな?と勝手に考えておりました。
今回の企画は、大変なことだとは思いますが、新たな地殻変動を起こす可能性のある良いアイディアだと思います。
わたしは、賛成です。
>実は、「これを読んで、批評して欲しい」と、創作した文章を送って来る人が、最近とみに増えているのである。
ちょっとショックでした。社会経験豊富な(会社の仕組みを理解している)大人が多いウィルビーに於いてそんな安易な依頼が結構な数届いている事に・・・。
相当な時間を費やすだろうから”絶対にお金を取るべきだー!”と読み進んでいたら最後にそのようなシステム案になっていたので私は賛成です。
sanashiatoさん のように品の良い言い方をすると”相応のご負担をいただいたうえで”に賛成です。
原稿を批評して貰いたい方々は出版会社に送るか自費出版しかないと思うのでその中間で良いアイデアだと思います。”お金がかかるならいいや!”なんて人が減り本気モードの人だけが残ってかえっていいかも知れませんね。
スポーツ部門、旅行部門等色々な部門がこんな感じに独立していき採算が取れるようになるなんていうのもいいですよね。