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車椅子は自立するための道具なんです。 1/4

山崎泰広さん(UD/シーティング・コンサルタント)

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日本は外国に比べて、街中で車椅子を見かけることが少ないと言われています。それはいったい何故でしょうか。そして私たちは車椅子のことをどれだけ知っているのでしょうか。車椅子のスペシャリスト、山崎泰広さんと、ちょっと一緒に考えてみませんか。(残間)
(聞き手/残間里江子  撮影/岡戸雅樹  構成/高橋和昭 大垣さえ)


vol.1 日本の車椅子事情を変えるため、30歳で起業


残間
お久しぶりです。オフィスが引っ越してからは、初めてお邪魔しますね。
(このインタビューは山崎さんが代表を務めている株式会社アクセスインターナショナルのオフィスで行われました。東京足立区にあるアクセスインターナショナルは、車椅子や障害者・高齢者用機器の輸入販売を行っています。山崎泰広さんのプロフィールはこちら

いろんな車椅子がありますね。ちょっと最近のトレンドというか、車椅子の状況を教えていただけますか。この車椅子はちょっと変わってますね。

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山崎
これは手と脚の両方が動かせない人のために開発された車椅子ですね。頭を傾けることで操作ができるんです。

残間
あ、この写真の板前さんは、カウンターの中で立っていますが、この方が使っているのも車椅子なんですか?

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山崎
スタンディング型の車椅子です。これを使うと、立てない方が立ち上がることができるんですよ。
スタンディングには車椅子意外にも色々な種類があって、こちらのタイプは、手でアームを動かすことにより、その力で同時にまるで歩いているように足を動かします。車椅子使用者ができない有酸素運動ができるんです。

残間
スポーツジムのトレーニングマシンみたいですね。

山崎
それから、これはスポーティなタイプです。軽い材質をつかっていて、楽に動かせるんです。自分で動かしやすいように、ハンドリム(車輪を回す部分)の形状にも気が配られているんです。残間さんもちょっと乗ってみませんか。

残間
本当に軽い! これ、いいですね。つくりがシンプルで、おしゃれ。私が車椅子に乗るようになったらこれにしようかな(笑)。

山崎
こっちには電動アシスト付のものもありますよ。電動車椅子というのもあるんですが、あれは重たくて、自動車に載せるのが大変です。これはちいさなアタッチメントを既存の車椅子につけるだけなので、コンパクトで軽量です。
最初に車輪を押してやると、手を離してもそのまま走り続け、ハンドリムに触ると停まります。高齢になって手の力が弱くなったら、こういうタイプもいいんじゃないでしょうか。

残間
一言で車椅子と言っても、いろいろとあるものですね。こちらにあるのは全て輸入品なんですか?

山崎
そうですね。海外から輸入した車椅子を販売しています。
車椅子の開発って、海外のほうが進んでいるんですよ。会社を90年に設立したんですが、それ以前は日本で輸入車椅子を扱っている会社は皆無に近かったです。
しかも「どうせ購入されない」と思われているから、法外な値段なんです。こういう状況を改善するために会社を設立しました。
それで売り出してみたらやっぱり売れました。潜在的ニーズはあったんですよね。

残間
今も日本製の車椅子は海外に遅れをとっているんですか?

山崎
最近は良くなってきましたね。輸入車椅子の真似という感じではありますが。私の会社が積極的に販売したことで、日本の車椅子開発に一石を投じられたかな、とは思っています。

残間
山崎泰広さんといっても、一般の方はあまりご存知ないと思いますが、山崎さんの会社が車椅子業界に与えた影響って、私はとても大きいと思っています。
今日のインタビューでは、ふだん健常者にはあまり馴染みのない車椅子のことや、山崎さんが今取り組んでいる「シーティング」のこと。そしてバリアフリーなまちづくりについても伺いたいと思っています。よろしくお願いします。

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山崎
よろしくお願いします。

残間
山崎さんの成功の秘訣って、山崎さん自身が車椅子ユーザーだということも大きく関係していると思うんです。山崎さんがこの会社を設立するに到るまでの経緯を、あらためてお聞かせ願えますか。
19歳で事故に遭われたんですよね。

山崎
そうです。1979年、ボストンの高校に留学していた時です。窓から転落しました。 事故から10日間ぐらい意識を失っていたんですが、意識が戻ったら医者に、「脊髄が損傷して下半身が麻痺している。いまの医療技術では回復できない」と告げられました。
両親が日本のリハビリについて調べてくれて、アメリカのほうが進んでいることがわかりました。それで両親に頼んでアメリカに留まらせてもらったんです。

残間
結局どれぐらい入院していたんですか?

山崎
合計4カ月ですね。救急病院2か月弱、リハビリ2か月弱。これは当時の日本と比べると驚異的な早さです。その頃の日本だと年の単位ですから。
僕と同じ頃同じ障害を持つようになって、日本でリハビリを受けた人は、社会復帰までに7年かかったと言っていました。

とは言ってもアメリカでは普通なんです。リハビリの技術が進んでいるんですよね。
私がアメリカで受けたリハビリは“個別リハ”といって、リハビリを受ける人それぞれで、個別に目的を設定するリハビリでした。今では日本も“個別リハ”を採用しているところが増えてきましたが、当時はなかった。

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残間
個別の目的っていうのは?

山崎
たとえば、事故の前にテニスをやっていた人が事故の後もテニスをやりたいと思ったら、「テニスを以前のように楽しむ」ことが“目的”ですね。この目的のために、こういう車椅子を使って、こういう筋肉をトレーニングして、こういう補助をしましょう、という具合にリハビリ方法を組み立てるんです。その他にも大学に進学して勉強したいとか、料理をしたいとか。目的はいろいろあると思います。

よくリハビリは辛いと言われますが、こんな風に目的をはっきりさせると、やりたいことのためなら頑張れる、という気持ちになれるんです。
4ヶ月のあとは、「実生活の中でいろんなことを学びなさい」と言われて、入院治療は終わり。そのままボストンの高校に入学し直しました。

残間
大学もボストンカレッジでしたよね。結局どのタイミングで帰国なさったんですか?

山崎
大学を卒業した85年ですね。ずっとアメリカにいたい気持ちもありましたし、就職もできたんですが、治療のお金を出してくれていたのは両親ですし、両親のことを考えて帰国を選択しました。そのまま日本で食品会社に就職したんです。

それで日本に戻ってきて驚きました。バリアフリーはない、選択肢もない、スポーツもない、何もないんです。障害を持ってしまったら、「人生を諦めてください」。それだけ。
これは辛いだろうなと思いました。そうこうしているうちに床ずれになってしまって。

残間
“床ずれ”っていうと、寝たきり状態だったんですか?

山崎
いいえ、ベッドだけじゃなくて、車椅子でずっと座っていてもおしりが床ずれになるんです。動かせませんからね。

日本では、今から考えると信じられないような間違った対処療法がおこなわれていました。湿らせるべきところを乾かしたり。治るわけありませんよ。それから手術法も間違っていて、入退院を繰り返していました。
そんな時、仕事の関係で知り合った床ずれ予防のクッションの会社の社長さんに、「そんなに大変ならアメリカで手術をしてみたら?」と提案されました。
手術自体は、アメリカも日本も同じ手術だったんですが、違ったのは手術後の対応です。

手術が終わったら「座り方を直しましょう」と言われました。それで座り方を直してもらったら諦めていた床ずれが完治。姿勢で車椅子使用者の様々な問題を解決する「シーティング」という考え方を、その時初めて知りました。
この考え方を日本に伝えていかなければ、と強く思いました。

残間
それで、食品会社を辞めて、90年に起業したと。
でも、そこで起業ができるっていうのがすごいですよ。事故で「人生が狂った」という言い方だってできるわけですから。

山崎
うーん。やっぱり環境が大きいです。自分は本当にラッキーだったんですよ。いい治療、いいリハビリを受けて、大学も卒業できた。起業する時も、応援と理解があったんです。

残間
それでは次に「シーティング」について、詳しくうかがいましょうか。

(つづく)

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vol.1 日本の車椅子事情を変えるため、30歳で起業

vol.2 車椅子に快適に坐る技術=シーティング

vol.3 日本は「障害者」、アメリカは「怪我しただけ」

vol.4 オリンピックを一大福祉プロジェクトに





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