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一人ひとりが声をあげなければ、何も変わらない。 1/4

大宅映子さん(評論家)

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大宅映子さんがメディアで情報発信を始めて、今年で35年。そのまっすぐな眼差しから繰り出される言葉は、今も私の道しるべのひとつとなっています。そんな大宅さんの“働く女性”としてのバックボーンとは。そして評論家として世の中を見つめてきた彼女に、今の日本はどんな風に映っているのでしょうか。(残間)
(聞き手/残間里江子  撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)
vol.1 この子は“共稼ぎ”向きだよね


残間
こんにちは。今日はよろしくお願いします。
会うたびに思いますが、いつも凛となさっていて本当に変わりませんね。

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大宅
いえいえ、実際はいろいろと“来て”ますよ。前から年上の方に「70過ぎたらガクッと来るわよ」と言われてましたが、全くその通り。
言葉が出て来ないというか、なかなか回路がつながらない。最近は一日の半分は探し物をしてるような状態です。

残間
(笑)そんなことはないでしょう。テレビでのご様子も、まったくお変わりないですが。

大宅
テレビは出てる間だけ何とかごまかしてるだけです。
よく頭を使っていると大丈夫なんて言いますが、あれは違いますね。やっぱり身体を動かさないと。
すぐにクルマを使うようではダメみたいですよ。そういう私も、運動といっても最近はゴルフぐらいですが。

残間
大宅さんが仕事を始めて、もうどれくらいになるんでしょう。

大宅
大学を出て会社に就職したのが1963年。メディアに出るようになったのは、下の娘が小学校に上がってからですから79年からですね。

残間
すると、ちょうど今年で35年ですね。

大宅
同世代の作家の森瑶子さんも、子育てが一段落してから仕事を始めていて、私とちょうど同じサイクルだったんですね。
だから彼女のことは気になっていましたよ。

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残間
大宅さんもそうですが、森瑶子さん、安井かずみさんは、新しい“働く女性”のひとつのイメージを作っていましたよね。私は下の世代として憧れていました。
大宅さんは、“働く”ということを、小さい頃はどう捉えていましたか?

大宅
少し歳が離れて姉が二人いるんですが、両親はやっぱり男の子が欲しかったらしいんです。「もう一人」と思ったけれど、生まれてみればまた女の子。
その落胆からか、私はわりと親から放っておかれました。姉たちも歳が離れてるから、あまり構ってくれない。ようするに“みそっかす”です。
これがラッキーでしたね。おかげで何でも1人でやる子に育ちました。

私は小さい頃から、将来は一人で生きていくんだと思ってましたね。何故かというと姉二人は美少女だったんですが、私は不細工だったから(笑)。自分で稼がねばと。
中学ぐらいから、周囲に「この子は共働き向きだよね」って言われてました。

人間、易きに流れがちなんですが、早くから私は「やるしかないんだ」と思ってたのが良かったですね。やりたい事もたくさんありましたし。
それから「あなたは切り替えが早いね」ともよく言われました。やると決めたら、すぐ始める!

残間
なるほどねえ。どんな学生時代でした。確か音楽がお好きでJAZZ喫茶によく行っていたとか。

大宅
私は今、個人としてはホリプロの所属なんですが、実は創業者の堀威夫さんとは15歳の時からのつきあいなんです。
堀さんは元々カントリーバンドのワゴンマスターズ(小坂一也氏、井原高忠氏ら)のメンバーで、その後スウィング・ウエストというバンドを結成したんですが、私はそのファンクラブ会員番号2番だったんですよ。
やっている音楽はカントリーなんですが、当時は「JAZZ喫茶」と呼ばれる場所で演奏していました。

よく高校の帰りにJAZZ喫茶に通いましたね。家に帰るには東大前から明大行きの電車に乗らないと行けないんですが、逆の渋谷に向かい、銀座に行ってました。

残間
1人で行っていたんですか?

大宅
ほとんどそうですね。友だちを連れて行くと、その子の親から「悪い道に引きずり込んで!」とか言われかねないので。
私は高校生本来の勉学を忘れてしまうことはない、自律に自信がありましたが、ヒトサマまで責任は取れませんからね。

それで母親に門限は決められていなかったんですが、私は8時の回の演奏が始まる前には帰ってました。門限がないということは親に信頼されていることだから、だからこそ裏切ってはいけないと。ご飯は毎日きちんとは家で食べるものだと。
いい子でしょ?(笑)

残間
大宅さんらしいですね。お父さん(故・大宅壮一氏)はJAZZ喫茶通いについて何か言わなかったんですか?

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大宅
オヤジは娘のことには関知せずですよ。私がどこの学校に通っているかも知らなかったと思います。
それに音楽は好きでしたけど、学生の本分は勉強だし、将来、自分のやりたいこともはっきりしてましたので、そこは割り切ってました。

ところが同じことを自分の娘にしたら大違い。
私も最初は門限を決めてなかったんですが、すると帰りが夜中の1時2時になるわけです。それも12時過ぎてから、「そろそろ帰ろうと思う」みたいな電話が来る。
いいかげん私も辛抱できなくなり、ある夜、「明日からは門限11時とします」と部屋のドアに張り紙して先に寝てしまいました。

すると門限を決めた最初の日の帰りが午後10時48分。
次の日が10時56分。
そういうことではないでしょう!

残間
(笑)

大宅
ルールって、決めるとそういう風になっちゃうんですよね。私は堪え性がなかったです。
それに引きかえ明治の母は強いですよ。黙って私を導いてた。

残間
それは日常からにじみ出てくるものなんですよね。日頃は何をしろとつべこべ言うわけでもなく。

大宅
あの時は「負けた」と思いましたね。






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