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広告を作るのって、やっぱり面白い!  1/4

2015.03.23

仲畑貴志さん(コピーライター)

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「おしりだって洗ってほしい」「心も満タンに」など、数々の名コピー、傑作広告を生み出してきた仲畑貴志さん。20代半ばから、トップランナーとして走り続けてきました。そして68歳を迎える今、仲畑さんは笑顔でこう言います。「広告を作るのって、やっぱり面白いんだよ」(残間)
(聞き手/残間里江子  撮影/岡戸雅樹  構成/髙橋和昭)


vol.1 ヒエラルキーのない世界に魅かれた


残間
今日はよろしくお願いします。
2008年に仲畑さんが書いた『みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。(勝つ広告のぜんぶ)』を、久しぶりに読み直したんですけど、面白かったです。広告の話なんですが、すべての仕事に通じると思いました。

仲畑
ああ、あれね(笑)、こちらこそよろしくお願いします。

残間
いかがですか、最近は仕事の方は?

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仲畑
面白いですね。広告作るのはやっぱり面白い。

残間
1947年生まれですから今年68歳。今なお現役と。

仲畑
友だちはほとんどリタイアしてしまいました。それで俺は経営とかは向いてない。何かを作っているのが好きなんですよ。

でも、還暦ぐらいの時、ちょっと仕事から引いた時期がありましたね。59歳から63くらいまでかな。

残間
どういう心境の変化があったんでしょう?

仲畑
うちの事務所は、コピーライターは3年で出てってもらう決まりなんです。独立してもらう。だって、その方が本人にとっていいでしょ?
もちろん延長することはあります。まだ一人では食えないとか。そういう子は食えるようにしてから出てってもらう。優秀だからといって、ずっと側に置いたりしない。

そうやって、ある時期、新人を取らないでいたら、誰もいなくなって俺一人になったのね。これがすごい楽! レギュラーみたいなものはあるにしても、勝手ができるから、ちょっと他のことでもやってみようかと。

残間
で、その間、何やってたんです?

仲畑
何もしてない。本読んで、映画見て、音楽聞いて、ただお酒飲んでた(笑)。

残間
個人表現というか、小説を書いてみるとかもなし?

仲畑
最初は書こうかと思ったんだけどね。でも、考えてみたら特に言いたいこともなかったし。
本当に小説書きたいなら、広告の仕事やりながらでも書いてたよね。

残間
川崎徹さんとか書いてましたよね。

仲畑
彼の小説は俺、大好き。特に初期の作品。内臓が風呂に入ってるとか、こりゃスゴイと思いました。後半は、ちょっとフツーになってきたかな。
でも、ああいう作風は受けるまで時間がかかるんですよね。書き続けていれば、安部公房になると思う。

俺と川崎徹と糸井重里、三人の中で一番彼が頭が良かった。それでデリカシーもあったから、人一倍傷ついたんだね。

残間
糸井さんといえば、ネットの世界に転身しましたね。“糸井印”の付加価値をつける手法で、通信販売で成功しています。

仲畑
上手くいって良かったよね。
糸井と僕は水と油なの。糸井が左翼なら俺は右翼みたいに。でも友だちでいられるのが素晴らしい。

まあ、それで広告の仕事に戻ってきたんだけど、改めて、やるならちゃんとやろうと思いました。競合(コンペ)の仕事もやることにしたし。

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残間
あれ? 以前は競合はやらない主義でしたよね?

仲畑
ええ、昔は俺と本気でやりたい人としかやらなかった。生意気ですけど。
競合を嫌うのって、ジャッジしてる人を信用してないということですからね。本当のターゲットではなくて、ジャッジする人、いわゆるクライアントに受けようとするのは間違ってるよね。

ただ、向こう側にいる顔も姿もはっきりしない大勢のお客さんの心をつかまないといけないのに、目の前にいる人を落とせなくてどうする? という風にも考えられますよね。
それで競合をやってみたら、これが面白い! ケンカみたいに、はっきり結果が出るからね。

それから大企業としかやらないということもないです。本気で売りたいと思うなら、中小企業でもやります。

残間
確か京都のご出身でしたよね。東京に出てきて、コピーライターになるまでの足取りを教えていただけますか。

仲畑
京都で生まれて地元の工業高校に行きました。勉強が嫌いだったから、大学には行かないぞという表明ですね。
それで設備設計の事務所に入ったんですが、すぐに自分に向いてないことがわかった。組織とか、上司を選べないこととか。それですぐ辞めて、盛り場でうろつくようになるわけ。

残間
で、その後に一念発起して、東京でコピーライターになろうと。

仲畑
いえ、本当はニューヨークに行きたかったです。当時はアイビー・ルックが流行っていてね、アイビーリーグの学生がマジソンへ行って広告屋になった。
でも一人っ子だったし、おふくろが泣くしで行けなかった。それで東京に出て、コピーライターの講座、今の宣伝会議に通った。

残間
まだそういう職業が、あまり知られていなかった頃ですよね。

仲畑
ええ、一般の人はほとんど知らなかったと思います。

残間
“文案家”という感じでしょうか。デザインも“意匠”と言われてましたかね。

仲畑
デザインは、もう“デザイン”でしたね。

そうだ、当時、やりたいことがもう一つありました。野菜を作って売る。それも九条葱とかの京都の伝統野菜や、珍しい外国野菜に興味があった。やってみたかったんだけど、農業は元手がかかるのよ。出資するという人もいたけど、失敗して迷惑かけるのも嫌だし。
コピーは一人でやれるでしょ。

残間
コピーライターという仕事に魅かれたのは、前から文章に興味があったからなんでしょうか。あるいは小さい頃から本を読むのが好きだったとか。

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仲畑
全然、関係ないね。
コピーライターって、その頃、一般に認知されていない職業だったでしょ。だからヒエラルキーとかが、まだ弱いと思ったの。新人だろうがベテランだろうが、実力がストレートに出るというか、何でもありみたいな。
広告の世界そのものが当時はそうでした。電通とかにも面白い人がいっぱいいましたもの。今は一流大学卒ばっかりですけど。

残間
なるほどね。まだヒエラルキーのない世界か。

仲畑
それで東京でコピー学校を出てから広告の世界で働こうと思ったんだけど、36社落ち続けた。どこも採ってくれない。

残間
著作にも少し書いてありましたが、仲畑さんがコピーライターの採用試験を落ち続けたって、本当の話なんですか。

仲畑
本当ですよ。

(つづく)

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vol.1 ヒエラルキーのない世界に魅かれた

vol.2 「こすれる」ことで傷つき、何かを得る

vol.3 佐治敬三さんのおかげです

vol.4 3回外したらやめます





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