ホーム>willbe Interview>伊藤アキラさん(作詞家)>シャッターを開けておけば、何かが舞い込む。 1/4

シャッターを開けておけば、何かが舞い込む。 1/4

伊藤アキラさん(作詞家)

Untitled-1.jpg
60年代から、おもにCMソングの売れっ子作詞家として活躍してきた伊藤アキラさん。「この木なんの木」「パッとさいでりあ」など、記憶に残る作品は数知れません。そしてキャリア50年に至る今も、伊藤さんはクリエイターとして静かに社会に向き合っています。その潔さ、素敵な年の取り方が羨ましいです。(残間)
(聞き手/残間里江子  撮影/岡戸雅樹  構成/高橋和昭 大垣さえ)


vol.1 「鉛筆一本で生きていく」と決めたものの……


残間
伊藤さんといえば、CMソングの作詞家としては大御所というか、本当に驚くほどの作品を手がけていらっしゃいます。さらに歌謡曲や童謡もお書きになっていて、『ひらけ! ポンキッキ』の「はたらくくるま」シリーズは、私も息子とよく聴いておりました。

伊藤
嬉しいですね、ありがとうございます。

残間
ウィキペディアで過去の作品一覧を見ていると、今でもフレーズの浮かんでくるものばかりです。
CMでは日立製作所の「この木何の木」、新興産業の「パッ! とさいでりあ」などなど。歌謡曲だと渡辺真知子の「かもめが翔んだ日」、ピンク・レディーの「世界英雄史」、フォーリーブスの「ブルドッグ」。それから「南の島のハメハメハ大王」(『NHK みんなのうた』)。もうきりがありません。

あ、「しあわせって何だっけ」(キッコーマン「ポン酢醤油」/1986年)というのもありましたね。ウィキペディアには補作詞と書いてありますが?

伊藤
これは、正確には私じゃないんです。元々はポン酢醤油のCMソングなんですけど、「しあわせって何だっけ」というフレーズは、CMのディレクターが考えたんです。
ところがそれを明石家さんまさんが、シングルカットをするということになりまして、「しあわせって何だっけ」だけでは歌詞が足りない。そこで初めて私が呼ばれて、その他の部分の歌詞を作りました。だから「補作詞」というのは正しいですね。

残間
広いジャンルで本当に膨大な作品を手がけてらっしゃいますが、最初から作詞家になるつもりだったんですか?
大学は現筑波大学の前身、東京教育大学の文学部を卒業されてますよね。しかも社会学専攻。

伊藤
もともとは新聞記者か、教師になりたかったんです。小学校、中学校、高校と一貫して学校新聞をやっていましたから。
新聞記者への道も、教師への道もどちらも可能性がある学校と学部ということで、東京教育大学の社会学部を選んだんです。

残間
大学在学中に、三木鶏郎さんの「冗談工房」に所属していたとか。

1112ito1a
伊藤
そうなんです。
2年になって大学にも慣れ、余裕ができた頃、ふと見ると学校の掲示板に「三木鶏郎冗談工房研究生募集」というポスターが張ってありました。

残間
NHKの「日曜娯楽劇場」ですね。冗談工房といえばラジオ・テレビでは一時代を築いていましたね。野坂昭如さんや永六輔さん、いずみたくさん、神津善行さんですとか、そうそうたる人材も輩出しています。

伊藤
そうです。前から三木鶏郎さんには憧れておりました。その冗談工房の研究生と聞いて、これは行かなきゃだめだと思ったんですね。
冗談工房というのは、つまり冗談、コントを生産する工場、ということです。なぜそんなのを作ったかというと、鶏郎さん一人じゃコントの生産が追いつかないからなんです。それでコント職人を抱えて量産しようと。

残間
伊藤さんが大学2年というと、1960年ぐらいですか。まさに、三木鶏郎さんの全盛期。

伊藤
そうなんです。なにしろ彼は、一人で作詞・作曲・歌唱・台本・執筆・声優・プロデュース、全部やっちゃうような人でしたから。一時は「なんでも三木鶏郎だ」なんて言われてました。とにかく仕事がドンドン入ってくる。
当時の冗談工房のドタバタは、後に野坂昭如さんがエッセイに書いてますね。『風狂の思想』だったかな?

それで冗談工房に集められた研究生というのは、コントを生産する職人の見習いということですね。都内の大学から集められたんです。

残間
どういう活動をされていたんですか?

伊藤
文化放送の近くに、冗談工房の持っている凡天寮という寮があったんですね。毎週土曜日そこへ行き、鶏郎さんの授業を受けていました。第一回の講義は「CMソングとは」というものでした。

残間
まじめな授業ですか?

伊藤
もちろん、まじめな授業です。
三木鶏郎さんっていうのは東大の法学部の出身なんですよ。お父さんが弁護士で、自分も弁護士になろうと考えていたぐらいの優秀な方ですから、まず定義から入るんですね。それで、「CMソングとは」。(注:三木鶏郎自身、数多くのCMソングを作っている)

残間
なるほど。「冗談学」をまじめに系統だって講義するわけですね。

伊藤
その講義が1時間ありまして。終わると、今度は先輩の冗談工房のメンバーがやってきて、宿題を発表するんです。鶏郎さんが次にやる番組のテーマを発表して、それに基づいて、みんなコントを書いてくるようにと。翌週の火曜日に提出するんですね。
この宿題はすごくって、なんと採用されると、鶏郎さんの番組で放送してくれるんです。さらに採用されるとギャラが出ました。

残間
採用されないとノーギャラ?

伊藤
ノーギャラ。その代わり授業料もとられませんからね。授業料もない上にギャラが出る。いいでしょう? 
コント一本採用されると200円もらえました。そのころの日本育英会の奨学金が月2千円の時代です。それから、学生街の喫茶店のモーニングサービスは50円。トースト半分、ゆで卵、コーヒーで50円。その4倍ですからね。

残間
今だと3千円くらいかしら。学生には結構な額ですね。でも、毎回採用されるというわけにはいかないでしょう。いくら授業料なしでも、だんだん淘汰されていったり、辞めていったりするんじゃないですか?

伊藤
そうですね。初め工房に入ったのは70人ぐらいいましたが、1年経ったころには10人ぐらいになっていました。授業料を払ってないので元を取る必要もないし、向いてないと思ったら、みんな何のためらいもなく辞めていきましたよ。

残間
伊藤さんはどうでした? 最初から採用されたんですか?

伊藤
最初のうちは一本も採用されませんでした。でも半年ぐらいしてから、だんだん採用されるようになりましたね。

残間
採用されるとはいっても、そのころは研究生ですよね。大学を出て就職するという道もあったわけです。どういうきっかけで、この道で生きていくことを決意なさったんですか?

伊藤
それがですね。大学4年になったときに、幸か不幸かそのころの大学生の新卒の初任給と、冗談工房からもらうギャラの額とが、ほぼトントンになったんです。

悩みました。就職すれば、そのころの会社員ってのは、一生その会社に勤められるでしょう?

残間
終身雇用ですからね。

伊藤
そう、終身雇用。かたやこのコント作家っていうのは何の保証もない。

1112ito1b
残間
でも、面白い! 就職してしまっては味わうことのできない興奮がある。

伊藤
はい。
それで、悩んだ末に出した結論が、とうぶん学生の身分を続けようということでした。いま流行の状態ですね。当時はやくも実践していたわけです(笑)。

残間
それでは大学院に? それとも留年?

伊藤
そこでも一波乱ありました。
私は、これまた幸か不幸か真面目な学生でしたから、単位を全てとっていたんです。留年できません。それで、これは大学院かなと。
当時の主任教授に、「私は大学院にいきたいんですが」と言ったところ、その先生に言われました。
「君ね、大学院っていうのは、勉強しかやることのない人が行くところだよ」

残間
すごい言葉。

伊藤
そうでしょう? 上手いこと言うなと思いました(笑)。
本来は「君は大学院なんてだめだよ」、と言われて終わるような話なんですよね。それが、「勉強するしかやることのない人」という言い方をされると、「あぁ自分は他にもやることあるなぁ」と思いましたもの。

それで悟って、大学院はあきらめて、結局、同じ大学の心理学科の3年次に学士入学することにしました。社会学科と研究室が近かったですし、似たようなものだろうと。

残間
では、しばらくは同じような生活が続いたわけですね。

伊藤
ところがです。心理学科というのは社会学科と比べて、勉強が大変なところだったんです。実験も多くて、モルモットのお世話なんかもあって夜遅くなったりする。コントを書くのが難しい状況になってしまいました。
それで結局、大学を中退することになったわけです。1964年、昭和39年3月のことです。

残間
オリンピックの年ですね。3月ということは、7ヶ月前か。

伊藤
はい。それで「就職活動」をしました。

残間
というと。

伊藤
そのころ、冗談工房を束ねる株式会社三芸っていうのがありまして、これが冗談工房、それからテレビ工房、音楽工房という3社のマネジメントを一切やっていたんですよ。そこの社長に、「私はこれから鉛筆一本でがんばりますので、よろしくお願いします」と挨拶しに行ったんです。そうか頑張りたまえなんて言われて。

残間
では退学したといっても、あんまり苦労はなかったんですね。そのまま冗談工房の大元に就職したというか。

1112ito1c
伊藤
そう思うでしょう? それがなんと4月に、その社長が専務に殺されてしまったんです。

残間
えっ!? 殺されるってどういうことです? ほんとの殺人?

伊藤
そう。三芸社長殺し事件。
それで、その事件はですね、結末からいうと、専務が殺し屋を雇って殺したんです。

残間
えぇ、殺し屋ですか? ドラマみたいですね。

伊藤
ほんとにドラマみたいなんです。殺人の行われる時間帯に、専務はアリバイ工作までやっていたんですよ。わざわざ収録中のスタジオに顔を出したりして。しばらくは捕まりませんでした。社長の葬儀でも葬儀委員長をつとめていたほどですから。
泣いてましたよ。あぁ、この人いい人だなと思いましたね。だけど日本の警察は優れていて、そのうち真相が判明して専務は捕まりました。

残間
何が原因だったんですか? 怨恨とか?

伊藤
金銭です。冗談工房は鶏郎さんのおかげで、金庫を膨れ上がらせていました。そうすると、社長も専務も裏金づくりを考え始めたんです。それで裏金の存在を知っているのは二人だけ。要するに裏金を独り占めするために殺したと。

残間
すごい事件だ。

伊藤
すごいでしょう。そういう事件がありまして、会社の存続は難しいと鶏郎さんは考えたんですね。三芸解散を決意したんです。
そうするとですよ。私はどうなるのですか、と。その年の3月に鉛筆一本でがんばりますと言って、4月、事件。5月6月と来て解散。
途方にくれました。波乱万丈ですよ、雨、アラレ!

残間
本当ですね、ふふふ、私のブログタイトル、ありがとうございます。(注:残間のブログタイトル『波乱万丈、雨、アラレ』は、伊藤さんにつけていただきました)

(つづく)

1112ito1d





vol.1 「鉛筆一本で生きていく」と決めたものの……

vol.2 苦労した仕事ほどエピソードが生まれる

vol.3 制約や縛りをくぐり抜ける“妙技”

vol.4 今日も店は開いています





過去のインタビュー