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「ファンタスティックに生きる」と決めました。 1/4

久田 恵さん(ノンフィクション作家)

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『フィリッピーナを愛した男たち』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。さらに近年は若い頃から大好きだった人形劇団を主宰するなど、多方面で活躍している久田恵さん。その信条は「ファンタスティックに生きる」。彼女の夢と冒険にあふれたこれまでの人生は、まさに“ファンタスティック”の一言!(残間)
(聞き手/残間里江子  撮影/岡戸雅樹 構成/髙橋和昭)


vol.1 サーカスにでも行かなきゃ人生変わらない


残間
お久しぶりです。
今日はたいへん楽しみにしておりました。

久田
よろしくお願いします。

残間
お会いするにあたって、改めて久田さんの経歴をひも解いてみました。
作品としては、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『フィリッピーナを愛した男たち』(1990年)が最初に世に知られているものですが、その前に『サーカス村裏通り』(1986年大宅壮一ノンフィクション賞候補作)というのがありますよね。母子でサーカスに住み込みで働いた、ご自身の経験をもとにお書きになっています。
私、この作品が久田さんを端的に表しているなあと思っているんですが、少し背景を聞かせてくれませんか。

久田
若い頃から職を転々としていたわけですが、まあ離婚をしまして母子家庭になりました。それで何か文章を書いて食べていこうと。
ちょうど博報堂がライターのバイトを募集していて、経歴詐称すれすれなんですが、何とかもぐり込んだんです。大学は中退なんですが(上智大学文学部)、何年入学と書いた後、すぐに職歴にして。

残間
(笑)ウソではないですよね。

久田
博報堂の人に「上智出身の人間は、うちにずいぶんいますよ」と言われた時にはヒヤヒヤしました。(笑)

そこでは「クリッピング・ニュース」という仕事を請け負っていました。新聞や雑誌の切り抜きから面白そうな記事をセレクトして、ひとつの読み物に仕上げるわけです。

残間
営業してる人に話題を提供するサービスですよね。今、流行ってるものとか、企業の動向とか。顧客のところに行った時の話のネタ。

久田
そうそう、よくご存知で。

残間
昔、『ダカーポ』という雑誌がありましたよね。いろんな雑誌の記事をダイジェストしていたもの。当時、銀座のホステスさんたちの必読書でした。お客と会話するにあたっての、彼女たちの重要な情報源だったみたいです。それと同じようなものかと思って。

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久田
ところが、息子が保育園に行かなくなってしまって。
登園拒否です。母子家庭としては、子供が保育園に行ってくれないと、仕事にならないわけです。

それで「もう人生、嫌になった!」とか言ってたら、ある人に喫茶店でこう言われたんです。忘れもしないんですけど。
「仕事を変えたり、離婚したり、そんなことをしても、たいして人生は変わるもんじゃない。サーカスにでも行かないと、人生なんて変わんないよねえ」とか、冗談のように。

残間
(笑)それでサーカスに?

久田
(笑)そう。
「サーカスだ!」と思って本屋さんに行ったら、本橋成一さんというカメラマンの『サーカスの時間』という本があったんですね。本橋さんとは、今はとっても仲良しになりましたけど。
それで本の後ろに電話番号があったんで、電話してみたんです。
「サーカスのことが知りたいんですけど、教えていただけませんか」って。

すると本橋さんが「じゃあ来ればー。今から」と言うんで、事務所のある東中野まで行きました。
で、会ったら意外な顔をしてるんですね。どうも若い女の娘がサーカスに入りたいのかと思ってたらしく、「えっ、子持ちなの?」とか言われちゃって。

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残間
(笑)

久田
今思えば、あの時はいい加減なことばかり言われましたね。
本橋さんは写真を撮るためにサーカスに通っていたんですが、
「あそこは天国みたいなもので、僕に子供がいたら絶対サーカスで育てたいと思ってるんだ。あなたの考えはすごくいいと思うよ」とか。
なるほど、そうなんだと思いまして、サーカスに行ったんですよ。

残間
すぐ入れたんですか。

久田
ええ、いつでもどうぞ、という感じでした。
今はほとんどなくなりましたが、当時、国内には幾つかサーカスがあって、全部連絡してみたんです。それで団員の子供たちごと連れて公演地を移動していくのって、キグレ・サーカスだけだったんです。他は単身赴任スタイルで。こちらは子連れなので、当然キグレ・サーカスということになりました。

残間
炊事係をやってたんですよね。

久田
子供が好きなので、最初は子供の世話をする保母さん役志望だったんですけど、そんなもんいらないよって言われちゃって。
子供の世話なんかしなくていいから、舞台に出るか、炊事係かだと。でも今から網タイツはいて舞台というのは‥‥

残間
それは20代ですか?

久田
もう30代ですね。
それで「もう、網タイツはく歳じゃないし‥‥」とか言ったら、「大丈夫、大丈夫。化粧して網タイツはけば、おばさんでも大丈夫! 人が足りないのは網タイツの方なんだから」とか言われたんですけど、私、踊れないし‥‥。
それで炊事係になりました。

残間
一年やったんですよね。

久田
本当はもっといるつもりだったんですけど、同じ炊事係の先輩の“おたみさん”という人に言われたんですよ。ここに長くいちゃいけないって。
「シャバに戻れなくなる」って言い方してましたね。

確かに住む所はあるし、電気・ガス・水道、全部タダだし、それでお給料をくれるので貯金はできるし、子供はみんなが見てくれるし。いい所なんです。

残間
子供にとっては楽しかったの?

久田
天国ですよ。もう息子は34歳にもなってますが、自分の人生で一番幸せだったのは、サーカスにいた頃だって言ってますから。
そこは正しかったんです。

残間
でも、「サーカスでも行かなきゃ人生変わらない」と言われて、実践する人は普通いませんけどね。
言葉としては、言いそうなセリフですけど。

久田
その頃は、人格的に少しおかしかったのかもしれませんね(笑)。
まあ、古い話です。

それでサーカスをやめたら、驚いたことにクロワッサンから取材を受けたんです。サーカスに行く前にさっき言った博報堂のバイトをしていたものですから、「大手広告代理店からサーカスへ!」みたいな受け取られ方をしたみたいで。
本当に安いギャラの単なるバイトだったんですが、こっちはびっくり仰天。でも、これが縁になって、サーカスでの体験が本になったわけです。

残間
久田さんの当時の決断や指向性は、今もつながっていると思いますけどね。著作にしろ、人形劇の活動についても、すべて。

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久田
サーカスもそうなんですが、若い頃からファンタジックなものへの憧れはありましたね。20代の時はレイ・ブラッドベリィみたいなファンタジー小説がすごく好きで。

「少年がスニーカーを履いて草原を走ると、遠くからサーカスがやって来て、音楽が聞こえる」
そんな描写にシビれてました。
サーカスの回転木馬を右回りすると歳を取って、左回りすると若返るとかいう不可思議な世界。だから“サーカス”と聞くと、私が連想するのはブラッドベリィなのね。

ところが日本のサーカスに行ったら全然違って(笑)、入れ墨背負ってたりするから。
周りから「バカじゃん」って言われましたけど。

でもファンタジックなものへの憧れというのはずっと続いていて、それは今やってる人形劇にもつながっています。
やっぱり、基本的にああいうものが好きなんですね。

残間
でも、サーカスの先輩に「戻れなくなる」と言われてやめたわけですよね。

久田
それは正解でした。サーカスから普通の生活に戻ったら、頭がおかしくなりそうになりましたもの。みんなそうなんですって。あまりにも違うから。
まあ、そんな風にしてフリーのライターになったわけです。

残間
(笑)面白いですねえ。

(つづく)

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vol.1 サーカスにでも行かなきゃ人生変わらない

vol.2 なぜ“ファンタスティックに生きる”なのか

vol.3 出たとこ勝負のフランス公演

vol.4 高齢の女は面白い。早く80代になりたい





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